何故大学に行くのか。

静岡県知事が菅首相の「教養が露呈」「学問をしてきたとは思えない」等

発言をして結局陳謝・撤回した。

人は大学に行くのは学者のように学問を見極めようと思う人もいれば日々の食を得る

のに有利になると思っていく人もいれば目的を見つけられず目的を見つけに行く場合

もあるだろう。大学に行くのは人それぞれであり学歴で判断する人を無教養という。

大学をでてからどう生きてるかが大事なのではないか。その意味では学者が

エライということもない。エライ学者もいればエライ政治家もいるかもしれない。

世の中お金を配る政治家もいればワイセツ行為をする教師もたくさんいる。

ノーベル賞をもらうほどに業績をあげる学者もいるが称賛するのは業績をあげるほど

努力をしたことにたいしてでありその業績が人々に幸せをもたらす業績だからである。

元公務員のお偉いさんが交通事故を起こして非難される場合もある。

大学にいって教養を積むことは大切なことだが教養とはなにかをしっかりつかむことだ。偉そうな顔をし偉そうなことをいうのがエライことではない。違うかなあ。