「 霊 」
73才ともなると人の死は気にかかる。
新聞のお悔やむ欄を見る場合も同年代の訃報につい目が行ってしまう。
「肉体とともに人生をかけて培った内なるもの」が消えることそれが死である。
霊とはなにか。生きていた間に人々に与えたその人の熱気みたいなものだろうと思う。
死ねば当然、肉体は無に帰する。霊は空中を漂うものではなく、天国にいくものではないと思う。
生きている人々のこころに亡き人の思いであったり、熱気であったりが受け継がれる。
霊といわれるのは人々に受け継がれた思いが強ければつよいほど霊もまた強い。
見えたい、見たいと生きてる人々の思いが霊をつくりだすのだろう。
怖いという気持ちが幽霊をよぶ。天国は人間のつくった知恵である。
供養とは人生をかけて培ったものに対する思いやりであったり、敬意をもつことである。
自分をここにあらしめている先祖におもいをはせるのはその意味で当然である。
この歳になるとこんな死後の世界にまで思いがいってしまう。
きちんと死ぬ時までに自分を納得させて死にたいものだと思うからだろう。
そして最後まで、すべてが無に帰すとも、もがきながらも生をまっとうしたいものだ。