江差町史を眺めていると面白いことがいろいろ出てくる。
有名な歴史上の名前も出てくる。
1806年文化3年に遠山金四郎が姥神神社を検分して絵か額か持ち帰ったという。
あの背中に入れ墨の遠山金さんかどうかは分からないが名前を見ただけで面白い!
1809年文化6年に最上徳内が江差役所詰めとして赴任したとある。
最上徳内は江戸時代の探検家で伊能忠敬などとともに歴史上の有名人物だ。
1860年安政7年に江差の百姓が井伊大老の籠に強訴したという。
桜田門外の変で有名な井伊大老に直訴したという江差の百姓はなんで江戸までなにを強訴にいったのだろうか。面白い。
江差追分の祖といわれる佐の市の来江や頼三樹三郎などの来江も出てくる。
やっぱ江差は江戸時代から明治時代中盤までは大都会だった?