遺体ホテルを建てるとというと反対運動が起きる。
反対運動に反論する人たちの論調を見ると極めて正論に聞こえる。
人は必ず誰もが死ぬ。にもかかわらず自分は死なないと思っているのではないか。
人が亡くなって枕元で手をにぎり涙を流したと思ったら死者となった途端に気持ちが悪いあっちへ行けと言ってるようなものではないかと。死者と生者の区別を厳然とする。
自分もかならず死ぬのだから究極の自己否定ではないかと訴えているのだ。
自分たちが死者となった時に気味悪いといわれ追い出される側に回るということだ。
たしかに現代社会ではかってのように死者と向き合う機会が少なくなってきてこんな現象がおきているのだろう。もちろん死者がそばにいるのは嫌という人は一定数いるのだ配慮できるべきところは配慮すべきだろう。考えてみるべきテーマではないだろうか。