7月22日 くもり
暑い上に北海道で寝苦しい暑さが続くというのはと珍しい。午前3時になってやっと寝られるような涼しさになった。
山道散歩。こんなに暑いのに夏セミはまだ鳴かない。もうそろそろ鳴きだしてもいい。
午後は施設にいる知人の病院への送迎をした。コロナに注意しながらのお手伝い。
人の役立つことができる範囲はどんどん限られる年齢になってきてる。身体を鍛えて少しでも役立つことができればと思う。
(畠の実に群がる鳥追いのトンビの凧が夏空にゆうゆうと飛んでた。)
7月22日 くもり
暑い上に北海道で寝苦しい暑さが続くというのはと珍しい。午前3時になってやっと寝られるような涼しさになった。
山道散歩。こんなに暑いのに夏セミはまだ鳴かない。もうそろそろ鳴きだしてもいい。
午後は施設にいる知人の病院への送迎をした。コロナに注意しながらのお手伝い。
人の役立つことができる範囲はどんどん限られる年齢になってきてる。身体を鍛えて少しでも役立つことができればと思う。
(畠の実に群がる鳥追いのトンビの凧が夏空にゆうゆうと飛んでた。)
重松清作品。やっぱり重松作品は人への優しさがいっぱい。泣かせる歌手という歌手がいるけれど重松作品も必ず泣かせる箇所がある。歳で涙腺が弱くなってるから泣いちゃうなあ。今回は草野球にいろんな選手が参加する話でいろんな人間模様が描かれる。
『どんまい』
中学生の香織という娘がいる洋子は離婚して子供のころ好きだった野球をやりたくて一念発起して団地の草野球チームに入団する。カントクは天蓋孤独のなかで野球は好きでカープが好きで平和の象徴としての野球に生きがいを見つけた広島カープに思いを寄せたチームだ。天才といわれプロ野球で花形の活躍している吉岡の高校時代の女房役キャッチャーをやった奨大が大学時代も報われずに草野球に入ってくる。
その他単身赴任や老父母を抱えて介護しながらの選手や不動産会社のドラ息子など多彩なメンバーで野球に命をかける。なかでも洋子香織親子は女性というハンデを乗り越えて離婚というハンデを乗り越えて力強く生きていく話だ。
(野球は下手でもうまくてもいい人ばかりが野球というゲームを中心に集まる世界。重松作品のいい人の集まり、善意しかない世界はいいなあ。そう思って生きたい。)
☆☆☆
スタートは女子ソフトボール。
日本と豪州の対戦だった。8対1の規定により5回コールドゲームで勝った。
身体は小さいのに3本のホームランで快勝した。
懐かしい上野投手が1点を取られながらも快投した。まだ元気で安心した。
無観客だったけれど最初の試合ということでNHKで放映されて今度いつオリンピックの競技に採用されるか分からないなかで日ごろからオリンピックのための練習が1試合だけど成果がでたことにお祝いしたい。いろいろ問題ありの東京2020だけれど最初の試合が結果がでたことで他の選手たちにもいい効果がでるのではないか。
女子サッカーもなんとか引き分けた。ユニホームが青でそれでなくても小柄な日本の女子選手が一生懸命走ってボールを追う姿は観る人を感動させたことだろう。
注意深くオリンピックをテレビで観戦していきたい。
オリンピックが実質的に開幕して世界からいろいろな選手が来日する。
オリンピック憲章では政治・宗教・人種的な意思表示が禁止されるが女子サッカーの英国対チリ戦で英国の選手が人種差別に抗議するピッチ上での片膝つきをしたという。
今回は試合前などでは憲章が緩和されているという。
日本のチームを見ても他国のチームをみてもいろいろな国や人種の人が参加して人種の混成チームという印象が強い。もはや人種差別というよりも世界の国から個人の意思で所属したい国・活躍したい国で競技に参加するという形に変わってきているのではないか。人種を強調して人種差別を誘発するよりも人それぞれ・個人を大事にすることが大事なのではないか。オリンピックを機会に個人を大事にする意識を持とうよ。
7月21日 晴れ
いつまでこの暑さが続くのか。家の前の日影に椅子をだして過ごしている。
山道散歩。熱中症に注意といわれて家でテレビを見ていたら身体が弱る。
対策をとって自然の厳しさに立ち向かいたいといるも大それたことを思いつつ行動してる。おかげで公園ではほとんど人を見かけることがない。鶯が鳴くのにあわせて口笛での鳴き声の競演をする。鶯も逃げずにしばらく付き合ってくれた。楽しいなあああ。
超ミニ菜園で初のトウキビを収穫した。取り合えず1本だ。1本を茹でて家族で味わうことになってそれぞれの口に入るのは僅か。それもまた気持ち良し。
(トウキビに興味津々の福にゃんだ。)
津久井やまゆり園の事件から5年が過ぎた。慰霊碑ができ公開されたという。
亡くなった19人の慰霊碑に19本のヤマユリを彫って慰霊する碑には18本のヤマユリになったという。亡くなられた方の名前が7名刻まれたという。いろいろな考え方があるからやむを得ないが同じ知的障害者を持ち去年亡くなった妹を思うときちょっと残念に思う。勿論 病気で亡くなった方々ではない。殺されたのだからご遺族にとっては自分とは想像できない思いもあるのだろうが・・・・・。
遺族の人にとってはいろいろな思いがあるだろうが自分の妹は施設の仲間や職員の人たちが好きだった。みんな家族のように暮らしていたのではないかと思っている。
自分は妹にしてやったことは僅かだ。父母会の役員や年に3回か4回の帰省に数日一緒に暮らしただけだ。その意味では園のみんなの心に残っていること、写真などで楽しい思い出を語っていただけることが妹はきっと一番の喜びだろうと思っている。
(妹が亡くなって違った意味で妹が身近に感じるようになったのも確かであるが・。)
その意味で園生の身になって思うと自分は亡くなられた園生がひとつの慰霊碑におさまって慰霊するほうが自分にはいいように思えるが・・・・。妹ならきっとみんなと一緒のほうが喜ぶだろう。