終活が言われる今日この頃。
仏教国のわが国ではお寺のお墓に納骨するのが普通である。
人の生き方の多様化とともに自分の最後についても多様化してきた。
最近では散骨、桜葬、共同墓地などなど変化してきている。
生前の人を思うとき遺灰も粗末にできないということだろう。
ただ日本においても権力者や宗教家の一部は神社や寺として
信仰の対象としてきた歴史がある。
オーム真理教の松本智津夫の死刑によってあらたな問題が。
「遺灰を所有することで宗教団体の正当性という価値。」
「遺灰をもつことで麻原教祖を神格化できるという価値。」
「遺灰自体を信仰の対象とする価値。」
宗教のリーダーにとっては遺灰が重要な価値となり得るのだ。
どの遺族に遺灰が渡るのかが大事な問題となっている。
報道では松本智津夫は4女に渡すよう遺言したとも伝えられる。
裁判で真実を語り、罪を認めた人ならいざ知らず、あれほどの
悲惨な事件を起こして起きながらなにも語らなかった人の
遺言に拘束をうけるのはいかがなものか。
まだ松本智津夫を信奉する団体もある。
将来にわたって2度とあんな事件が起きないことを第1に
遺灰の取り扱いは慎重であるべきと思うがどうだろう。