保阪正康「三島由紀夫と楯の会事件」を読む。

保阪正康氏は北海道出身のノンフィクション作家。昭和14年生まれ。

三島由紀夫割腹事件を詳細に記載された作品。

事件後50年が過ぎて読む機会を得た。なにかの縁かもしれない。

昭和45年11月25日作家三島由紀夫が自ら率いる楯の会のメンバー4人と

自衛隊東部方面総監部に乱入し益田総監を拉致して

自衛隊員を集合させバルコニーから自衛隊の決起を促して失敗して

割腹自決し森田必勝に介錯させ森田もまた割腹自決したという事件。

テレビも報道され当時は極めてセンセーショナルな事件であった。

森田必勝は昭和20年生まれだというから25歳、早稲田大の教育学部を卒業という。楯の会の創立に関わった持丸氏は早稲田大卒というし、事件の前に三島氏は

憲法を計画するのだが早稲田大の法学部阿部勉氏をリーダーに指名している。

彼等が三島氏とともに楯の会を結成し自衛隊に訓練入隊しているときに

自分は彼等と同年代であり、ノンポリとして遊び呆けていた。

授業料値上げ反対運動などの学生過激デモや共産主義への反作用として

彼等は三島氏とともに楯の会を結成し自衛隊に訓練入隊して自衛隊とともに

日本の伝統や文化的なものを守ろうと立ち上がったという。

本を読んでいて同じ時期に同じ学び舎で生きたものとして感慨が深い。

事件当時は作家三島由紀夫がなぜこんなことになったのか不思議に思って

いたがいろんな説があるようだが自分は楯の会の行き詰まりを感じていて

青年たちを引っ張ってきた手前決着をつけたかったのではないか。

だから敢て幹部4人だけをつれて総監部に乗り込んだのではないか。

自衛隊を巻き込むことは無理と知りつつ三島氏特有の美学を貫いたのではないか。

読んでいて事件後50年すぎても世の中は変わっていないのではないだろうか。

辞世の歌

「散るをいとふ 世にも人にもさきがけて 散るこそ花と 咲く小夜嵐」

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