「江差の五月は江戸にもない」といわれた江差の歴史を見ていると思いがけないことがあってビックリする。自分だけが知らないことなのだろうか。
町史によれば明治22年ごろには江差で英語熱が高まったとある。
高橋清治英語塾とか辻巳之吉英語塾や都築英語塾などのほかにキリスト教関係や仏教関係の英語塾などがあったという。
北前船で都会の情報がいち早く伝えられる土地柄だったと考えられるし、鰊の群来がしばしばあって内地から大勢の人が来ていたと思われる。このころの江差では1万人近い人口だったということもある。
このころの英語熱が戦争もなくて続いていたらどんな江差になっていただろう。