相模原殺傷事件から1年

 この事件は自分にとって他人事ではありません。
                   妹が同じような施設にお世話になっているからです。

        事件にあわれた皆様には言葉もありません。
                 また 1日も早い心身のご回復をお祈り申し上げます。
      
        犯人は「障がい者はいなくなればいい」とまだ言ってるようですが・・・・・・
                    
        道新の社説には
           「障がい者も健常者も差異を認め合い、支えあう共生社会をめざすことが再発防止になる」

        差異を認め合うことではなく、まずはお互い人間として認め合うことではないだろうか。
       
        自分には障がい者のほうは「障がい者と呼ばれない」人たちを人間として認めている。
                  「障がい者と呼ばれない」人が障がい者を人間と認めていないと思われる。

        障がい者を人間として認めることのできない犯人も健常者なのだ。そして事件が。 
       
        普通に人間として「おぎないあう」社会になることを望んでいます。     
       
        人間は「からだ」と「こころ」でできている。
                   見える部分を診断した区分が障がい者、それ以外が健常者と呼ばれる。      

        もはや 「いたわりあう」「助け合う」ことの必要がないほどの社会になったのか。

        歳を重ねた人は必ずいう。「たくさんの人に生かされた」と。自分もそう思う。

        人間 お互いが「忖度」しあわない社会に「いたわりあう」社会は生まれるのだろうか。

         いじめも孤独死も過労死もその他もろもろの問題の根はひとつのような気がしてならない。 

         人間はまさに「世界にひとつだけの花」であり、
                           それぞれが花であるからいとおしい存在なのでは。

                豆ちゃんにとって私は一番いとおしい存在のはず。と信じている。