朝井まかて『阿蘭陀西鶴』を読む。

朝井まかて作品。江戸時代の有名人で大阪に住む井原西鶴の一代記。ただ西鶴には盲目の娘がいた。俳諧師匠・浄瑠璃作家・草紙作家と多彩な男だったようだ。

『阿蘭陀西鶴

西鶴は阿蘭陀西鶴と自称して俳諧の才能が若くして恵まれ自信も強く人々に添削してあげたり作品を出版したりして生活していた。妻とおあい・一太郎・次郎太という子供がいた。ただおあいは生まれて間もなく盲目になり母親のみずゑは包丁も持たせて以後の生活に困らないように厳しく教え育てた。そして母は9歳の時に亡くなった。一太郎・次郎太を養子に出し、父娘の生活が始まった。おあいは料理も裁縫も何でもできた。お玉という賄いを雇っていた。西鶴は当代のシャレ者であり才能もあり俳諧の団琳派の宗因を尊敬して次の後継者とも言われた。絵の才能もあった。草紙に関わる。「好色一代男」で好色もので寵児になり相次いで「好色・・・」を出し、「日本永代蔵」「近年諸国咄」「世間胸算用」で有名にはなったが金銭的には性格もあり楽ではなくおあいがいつも算段していたという。西鶴は酒も飲まずに気ままに家のことはほっといて俳諧や小説書きにうつつをぬかしているようだが実際は娘おあいのことを妻に頼まれていたことをしっかりと守ったのであった。

(おあいは「世間胸算用」が世に出た1692年に26歳の若さで西鶴は1693年に亡くなったという。)

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