「国民」という名の怪物。

    自衛隊の幹部隊員が国会前の路上で
        民進党の小西議員を「お前は国民の敵」と罵倒した。

        当然問題になって自衛隊は隊員を処分することになった。

        過去の軍部の言い草は「国民の敵」といって横暴を働いた。
        これは忘れてはならない過去の教訓である。

      しかし  現代もまわりを見渡してみれば・・
        政治家・メディアは「国民」という名を冠して社会を誘導しようと
        いいように使っている。
        ”国民は反対している。””国民は怒っている”
        何故 「自分」は反対である。「自分」は怒っている。と言わないのか。
        せめて「我々」「私たち」であろう。
         勝手に自分が含まれることに違和感を覚えるのだ。

        小野田防衛大臣
        「若い隊員なのでさまざまな思いがあり、彼も国民のひとりなので
         当然思うことはあると思う。口にすべきかどうかは立場を
         考えて・・・・・・」
        これも問題になった。
        擁護したと。切り捨てたら部下を使い捨てにする大臣の汚名だろう。
        "内心の自由はあるとしてもそれをコントロールできない方は
         指導者として不適切”
        それはないだろう。
           反対のための反対で生まれるものはなにもない。そう思う。