箱館戦争史跡を辿る。咬菜園。


   戊辰戦争最後の箱館戦争での出来事。

   新政府軍の艦が江戸を立ったと知り、榎本武揚は幹部たち6人とともに
   一夜の清遊したと伝えられる場所。咬菜園(こうさいえん)。
      当時 函館一の名園といわれ、咬菜とは粗食のことで五稜郭を設計した
    武田斐三郎が名付け親と伝わる。 

   函館西部地区の弥生坂上にある。
   さらにその上には己巳役海軍戦死碑がある。
   函館湾の景色のいいところで建物自体はもう今はない。
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現在は私有地。入ることはできない。景色は最高だ。景色を見ながら一献か。
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