森友・加計問題・日大問題賑やかである。
隠ぺい・改ざん・齟齬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「ありえない。」「人間としておかしい。」「考えられない。」
非難の嵐である。批判の嵐である。
誰もが嘘をつく。誰もが自分に不利なことを隠す。
いや嘘をついたことがある。不利なことを隠したことがある。
裁判で宣誓しても、証人喚問で宣誓しても不利なことは言いたくない。
政治家だから、弁護士だから、社長だから、警官だから、公務員だから。
立場上 嘘は許されない、隠すことは許されないのも確かである。
しかし。彼らも人間である。人間は嘘も隠ぺいもある弱いものである。
それを前提すると結果の重大性が極めて重要である。
嘘をつく、隠ぺいするにはそうする理由があるはずである。
自分に不利が生じる。文句がくるのがはっきりしている。
誰もが嘘・隠ぺいを今の社会は認めているような気がする。
みんな認めていながら自分に無関係だと批判・非難する。
嘘をいわないで済む社会。隠さなくてもいい社会。
正直者がバカを見ない社会。そんな社会であればいい。
日大問題でいえば例え「ケガをさせろ」「殺せ」という意味でなくとも
言葉として「潰せ」という近い言葉で指示してあの重大な結果を
引き起こした以上は責任者は引責することは当然であろう。
森友・加計問題でいえば官僚たちが多少の立場上の利益の
ために忖度して隠ぺいしたとしてもそれにかかる時間・労力
などを差し引いて今後の戒めを考えると責任のとりかたは
自然にでてくるだろう。
批判のための批判、非難のための非難は本質を見誤る。
(甘いといわれそうだなあ!批判は甘んじて受けよう。
なにを言っても社会に影響あるわけもなし自己満足のみ。)