佐江衆一作品。初めての作家。アイヌの人たちとシャモといわれた和人の関わりの話。
松前藩から幕府直轄になった北海道に本州と同じように有珠と様似と厚岸に
官寺を設置することになった。善光寺・等澍院・国泰寺である。
折しもオロシャが蝦夷を中心に交易を求めながら接近している頃である。
「北の海明け」
文翁和尚は東岳・智弁をともなって厚岸に赴任し、アイヌの子タルクを使用人
に雇う。文翁和尚は過酷な自然に破れ5か月で亡くなってしまう。
このころ和人は番人・番人頭などとしてアイヌを酷使し、アイヌの女と
みれば犯し、女房までも妾にする狼藉ぶりだった。智弁はタルクにアイヌ語を
習いタルクは和語を習得していった。アイヌ女房への狼藉に憤慨した智弁は
人殺しをして逃走する。逃走しながら亡き文翁和尚に問われた禅宗の公案
「愛語に廻天の力ありや」の答えを求めつつエトロフなどを彷徨う。
遠藤周作の「沈黙」は民の大変な時に神が沈黙していることを描いたが
智弁は名前をイチマツと変えて逃亡したのだが元は僧籍であり、仏教に疑問を
もち、エトロフで神父に教えを乞うも納得できず、厚岸にもどった智弁は
アイヌの娘と結婚してすべてのものに神が宿るカムイに魅かれていく。
禁教の咎で智弁は捕まり踏み絵をさせられるが・・・・・・・・・・・。
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